はじめに

2015年夏。私は、ひとりの学会員(@amachin888)として、安保法案の白紙撤回を求める署名活動を致しました。その趣意と活動内容はこちらのサイトをご覧ください。 → https://hakushi.amebaownd.com/

多くの方々からご賛同を頂き、9,177筆の署名簿を公明党本部に届けることができました。ご協力頂いた皆様に改めて御礼申し上げます。

しかし、安保法を廃案にすることはできませんでした。これまで支援してきた公明党には、失望しました。私は、この署名活動を通じて、公明党の政策などに疑問を抱き意見を言ったがために、学会の組織内で孤立してしまっている学会員さんが多くいることを知りました。なかには、「信心が足りない」と言われたり、村八分になって距離を置かれた方もいらっしゃいました。創価学会は公明党を支援していますが、「会員の政党支援は自由である」と公言しています。しかし現場では、異論をとなえ、「公明党を応援しません」と言った学会員が苦しい思いをしています。これは解決しなければならない問題の一つと考えます。

公明党と創価学会

公明党が独自に政策を展開することはありません。党と創価学会は、「社会協議会」を通じて連携を密にとっています。最大の支持母体である創価学会の意向を汲まずして、公明党は存在できないほどに、学会の票と選挙応援に頼りっきりです。党は創立50年を越えましたが、残念ながら未だにそのような状態にあります。

公明党が自民党と一緒になってすすめた安保法は、仏法の生命哲学とも、牧口、戸田、池田、と連なる創価三代会長の平和思想とも相反するものです。なのになぜ、公明党は安保推進したのかという問いは、そのまま「なぜ、創価学会は安保を認めたのか」になります。もっと言えば、「なぜ、安保を認める“創価学会”になってしまったのか」ということです。政権与党に公明が居ることが重要だと考えているのでしょうか。連立を組む自民党と深い関係にある「日本会議」は、創価三代会長の思想と相容れないものなのですが…。

創価学会は、今

近年、創価学会をめぐる様々な問題が起きています。前述の安保法にまつわる問題の他、大御本尊の認定に関わる会則変更の問題や、組織の腐敗や不正の隠蔽問題。各地での対話無き査問・解任・除名の問題など…。本来、会員に、勇気と希望と確信を与え、信頼されるのが学会本部(執行部)の役割ですが、今は、異論を唱える者にはレッテルを貼り、分断し、不信と不安を与えています。

学会をめぐる様々な問題を語るとき、「それらの責任は全て池田名誉会長に在る」という人がいます。「組織の最高幹部であり、カリスマ的指導者の池田氏が指示をしているのだ」と。しかし実際は、学会の最高幹部は、「会長」となっています。池田先生は、最高指導者・永遠の師匠ですが、組織上の権限を持っていないのです。というか、持たされていないのです(創価学会公式HPより,会則・機構図をご参照下さい)。このことは、後述する「54年問題」とつながっています。

そして、池田先生は2010年5月の本部幹部会以降、公の会合に出られていません。ご病気で倒れられて、現在、ご闘病中であると思われます。(2016年1月20日に埼玉文化会館を訪問された先生・奥様のお写真が3.9付の聖教新聞に掲載されましたが、お姿を拝見し、心よりご快復を祈る学会員は私だけではないはずです。)これまで先生は「いつまでも私に頼る弟子ではいけないよ。君たちに全部おしえてきたのだから。これからは、すべて君たちがやりなさい」とご指導されてきました。私は、先生のご指導通りに行こうと思いました。私が安保法に反対したのも、法案は先生の平和思想に違背してると判断したからです。【注・2023年11月15日、池田先生がご逝去された。その報を発表したのは、11月18日午後。その原田稔会長と池田博正主任副会長による会見動画によると、池田先生は15日夜半に老衰で亡くなり、17日午後に原田会長の導師で家族葬が営まれ、18日午前に荼毘に付されたという。しかし、17日午前に大誓堂完成10周年を祝賀する勤行会は(何事も無かったかのように)開催され、18日の聖教新聞は祝賀の紙面を飾り、西方全国青年部長は祝賀のツイートを発信している。このちぐはぐさは何か?さらには23日の学会葬に先生のご遺骨は無く、奥様と三男・尊弘氏の姿もメッセージも無く、参加した会員は「葬儀というより、まるで普段の本部幹部会のようだった」と漏らした。このちぐはぐさ、違和感から察するに、原田らは、先生ご逝去の訃報を18日昼まで知らなかった(知らされなかった)のではないか。嘘と隠ぺいの「謎会見」。その動画は削除され、現在は視聴できなくなっている。先生は奥様と尊弘氏に「原田ら(博正含む)に知らせないように」と託されたのではないか。今の原田らが支配する教団「原田学会」に師の魂はない。師弟もない。池田先生は、原田らと線を引いて、真の弟子に「見破れ」と託した。

先生を利用するな

2015年の安保法に関して学会幹部は、「池田先生はNOと表明されていない。先生が安保反対なら発言されるはず。発言が無いのは認められた証拠である」と言います。「先生はお元気です。先生は全てご存知です」。「この法戦、公明党を絶対に勝利させて、池田先生にお応えしよう!」と…。しかし、それは逆に「先生」を利用し、先生に責任を転嫁するものであると、私は言いたいのです。 

大御本尊の認定に関わる会則変更の問題にしてもそうです。先生がご病気で公の場に出られないのを良いことに、今のうちに、先生を利用して、「自分たち(学会執行部)の都合の良いようにやってしまおう」と、三代会長が築き上げた「創価学会」を破壊しているとしか思えません。

そして、疑問を感じて声をあげる者、異を唱える者には、対話もなく査問をし、排除するという今の学会本部の姿は、慈悲のない組織至上主義であり、先生の嫌われた官僚主義そのものではないでしょうか。

「54年問題」を知る

昭和54年4月24日。この日、池田先生は、日蓮正宗宗門と結託した学会顧問弁護士・山崎正友(故人)の謀略により、第3代会長を辞任されました。先生は会長を「勇退」し、「名誉会長」になられました。しかし、その実態は、どうであったのか。後に、先生のスピーチ等で明らかにされてゆきます。私は、安保をすすめる公明党のオカシサを観るうちに、学会本部の問題に気づかされました。そして、その根源に「54年問題」があり、いまだ総括されていないことを知りました。「54年問題」を知り、どう捉えるかによって、創価学会をめぐる様々な問題を解決する、その糸口が見えてくるのではないかと思います。

三代会長の、池田先生の、「創価学会」を取り戻そう!

池田先生は「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と私たちに言われました。広宣流布を妨げる天魔を打ち破り、本来あるべき姿の「創価学会」を取り戻しましょう!

当サイトでは、先生のスピーチやご指導など、「54年問題」等を知るための資料などを引用、掲載してます。是非ご覧頂き、学びや対話の場にご活用頂ければ幸いです。

どこまでも先生と共に!

師弟共戦! 

師弟不二!

破邪顕正!

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【1】

池田大作・創価学会名誉会長インタビュー
「あらゆるテロは絶対悪」(引用)
 毎日新聞 2001/9/25(火)1面掲載
【「国連特別総会でテロ対策」を提唱 創価学会池田名誉会長】

 

 創価学会の池田名誉会長(73)はこのほど毎日新聞の取材に答え、米国の同時多発テロ事件について「仏法者の立場から、あらゆるテロを絶対悪として許さない」と厳しく批判した。また、首相公選制の導入は容認したが、憲法改正議論で9条改正には反対の姿勢を明確にした。(21面に詳報)

 池田名誉会長は今回のテロ事件を受け「大勢の人を巻き込んで殺すことは、殉教ではない」「これほど残酷な宗教ならば、この世にある必要がない」と語った。一方で日本政府の対応については「後手後手」と指摘し、国連で「国際テロ対策のための特別総会」開催を検討するべきだと唱えた。

 また、創価学会が指示する公明党が与党の一角を占める小泉内閣の高い支持率について「90%の支持率は異常。人気があると言っても、まだ仕事はしていない」と指摘。小泉首相の靖国神社参拝に対しても「憲法違反の疑いが強い」と批判した。

毎日新聞 2001/9/25 (火) 21面掲載

 創価学会の池田大作名誉会長(73)は、毎日新聞のインタビューに対し、米国の同時多発テロ事件と宗教の問題をはじめ、世相、教育、政治、憲法、創価学会の現状など幅広い分野に関して約1時間半にわたり考えを語った。問答の主な内容を紹介する。聞き手は、毎日新聞の北村正任・主筆と、岩見隆夫・特別顧問。(1面参照)

〔同時多発テロ事件〕~大勢を巻き込み殺すことは殉教ではない~

北村主筆  :同時多発テロ事件では、創価学会の方も安否が分からなくなっているようですが。

池田名誉会長:アメリカSGI(創価学会インターナショナル)の経理部長です。世界貿易センタービルに突入した航空機に乗っていました。大変、優秀な人物です。

岩見特別顧問:20世紀は戦争の世紀といわれましたが、こういう事件があると、21世紀もまた新たな形の戦争の世紀になるのではという不安を、全世界が持っています。テロリズムと宗教がどこかで関連しているのは間違いない。宗教界の指導者の立場で、事件をどう受け止めましたか。

池田氏:大変に暗い気持ちになりました。本来、宗教は、人の魂を救い、人間が人間らしく幸福に平和に暮らすための役割を持っています。その宗教が、人間を殺し、破壊し、不幸のどん底に陥れる。これほど悪い残酷な宗教ならば、この世にある必要がない。それが、一般の方々の心情だと思います。私もそう思います。今回の事件は文明社会への挑戦であり、平和に生きる人類の権利の破壊です。私どもは「人間の生命は全宇宙の財宝よりも尊い」という仏法者の立場から、あらゆるテロを絶対悪として断じて許しません。宗教が、政治、利害、宗教家の権威に利用される。この悪循環を、今回の事件にも感じます。

岩見 :宗教者を残酷非道なテロに駆り立てている根っこにあるものは、何なのでしょう。

池田氏:権力です。利害です。宗教それ自体の延長の戦争も、ないとは言えません。

しかし、つぶさに分析してみると、どうしても政治、利害、陰謀が絡んでくる。

岩見 :イスラム原理主義の、原理主義ということも解しかねる面があります。

池田氏:原理主義は、そのままの法義や教義を実行するという次元で解釈すれば、正統のように見えます。しかし、時代は刻々と変化しています。もとは1000年以上も前の宗教です。それをそのまま持ち込んでいくことは、一見、宗教者としてはとてもきれいに見えますが、大変な時代錯誤、間違いを起こします。原理主義はとても神聖で崇高という、その錯覚が恐ろしいです。「このようなテロは、イスラムの原理に反する」と指摘する教徒もいます。

岩見 :日本はオウム事件を経験していますが、ちょっと似ているんじゃないでしょうか。

池田氏:似ています。もちろん無宗教のテロリストが多いわけですが。大勢の人を巻き込んで殺すことは、殉教ではありません。それは、破壊、暴挙、戦争です。

岩見 :名誉会長も、この問題でアクションを起こそうとお考えですか。

池田氏:絶対にすべきです。学会は、真剣に取り組んでいます。アメリカSGIはただちに緊急対策本部を設置し、救援活動の応援、義援金の寄託、献血などを始めました。平和、戦争反対、暴力をなくす。これは教義を超越した、人間本来の道であり、幸福への道です。そこに宗教の発生があったわけですから、宗教界は一致すべきです。

岩見 :日本の仏教界が連帯して何かをやることはないのでしょうか。

池田氏:日本の他宗教は他宗教として、行動すればいいと思う。今、学会が主導しても、まとまるまで時間がかかります。また反発が起きます。それは愚の骨頂です。

岩見 :日本も同盟国の立場から米国を支援しなければならない。小泉純一郎首相も支援を約束していますが、政治の動きはどうご覧になりますか。

池田氏:はがゆくて話しになりません。日本の政治家は後手後手です。率先して平和への国際世論をつくるべきです。国連で訴えてもいい。今こそ、国連が大事です。国連加盟国は一丸となって「国際テロ対策のための特別総会」開催を検討してはどうでしょうか。日本も、そうした方向で努力すべきです。キリスト教とイスラム教は平和的に共存してきた長い歴史を有しています。現在は、宗教的対立というより政治的対決の色彩が強い。文明全体が試練に立たされている今こそ「徹底した対話を」と訴えたい。

〔世相・教育〕~同苦を教育に~

北村 :今回のテロ事件でも一番の特徴は命の軽視だと思うのですが、この風潮はテロに限らず、最近の日本の社会でいろいろあります。どうしてそんなに簡単に人を、子供を殺すのだろう、ということがあります。

池田氏:希望がないからではないでしょうか。社会全体にトンネルの出口が見えない閉塞感が高まっています。人生に意味を与えるのは哲学であり、宗教です。ところが今、真剣に暴力、戦争はいけない、と教育する信念がありません。もうみんなあなた任せ、自分は関係ないと。使命感、責任感がなくなってしまっている。

北村 :自分たちに対する攻撃と受け取らずに、私のところが関係しなくてよかったと。平和が、社会が脅かされている、それは自分たちへの攻撃だという感じがちょっと薄らいでしまう。

池田氏:そこなんです。全部あなた任せです。仏法は同苦です。人が不幸である。人が苦しんでいる。同じ苦しみを持って助け合おう。これが人間の真実の生くべき道でしょう。同苦が大事です。

北村 :なかなか理解し合えない人間同士を、どうやって同苦というものに持っていくのでしょう。

池田氏:一番大事なことは、教育です。不幸、戦争、恵まれない……。その人と同苦する。同じ目線でどのように擁護するか、また平等に扱うか。その点、日本は遅れています。

岩見 :歴代政権は教育改革と必ず言う。実際に政府機関で議論しても妙案が出てこない。そこでお聞きしたいのは教育基本法です。変えるべきじゃないかという意見の人もいますが、名誉会長は慎重と聞いています。

池田氏:国家主義に持っていく色彩が見え見えですから。もっと斬新な展望を持てる学者に、議論してもらいたい。なんでも政治の機関でやらせるのは、政治至上主義です。人間至上主義ではありません。長らく日本の教育は、その時々の国家目標に振り回されてきました。軍事優先や経済優先だった国家目標に沿って、役割を狭められてきたのです。教育基本法は「人格の形成」を教育の目的として掲げていますが、私は「子供の幸福」と読み換えたらどうかと訴えたい。「教育は子供の幸福のためにこそある」。これは、私の敬愛する、戦時中に獄死した教育者の言葉です。

岩見 :私は教育における宗教の役割は非常に大きいと観念的には思っています。しかし、現実的に日本の教育の中で、宗教の比重は高くない。

池田氏:そうですね。しかし、今でも欧米では、宗教を持たない家庭は少ない。日本の宗教的権威者が悪いんです。宗教は空気や水みたいなもので、本来人間にとって必要なものです。

〔政治〕~もう一度本格再編が~

北村 :7月の参院選は大変な小泉フィーバーで、その後も内閣支持率はあまり下がらない。高い時には90%近くです。危ないという人もいますが。

池田氏:私も同感です。日本人の、はっきりしないものに対する何となくという人気。強い哲学性も政治観もなくして、付和雷同する。その表れの一つだと思います。90%の支持率は明らかに異常です。時代、謝意、未来に対する閉塞感が強かった分、人々は改革という言葉に、実態も分からないままひかれている。そこが気になります。人気はイコール政治の力ではありません。人気があるといって、何もまだ仕事はしていない。

岩見 :小泉さんは「自民党をつぶしてもよい」なんて言うもんですから。そういうパフォーマンスに人気が行った。

池田氏:少しずつ見が覚めてきた人もいるが、まだ続くでしょう。次がいないから。今は、日本が改革を必要としている。頑張ってほしいものです。

岩見 :名誉会長はずいぶん歴代総理に接触が多いようですが。

池田氏:私から「会いたい」と言って、会った方はおりません。先方から「懇談したい」と言うので、すべてお断りすることもできませんし、以前はほとんどの総理にお会いしています。公明党の国会議員は一切関係していません。私個人として会っています。一番多かったのは福田(赳夫)さんでしょうね。

岩見 :福田さん、あるいはその前後と、ここ十数年のリーダーを比べていかがですか。

池田氏:やはり佐藤(栄作)さんとか、池田(勇人)さんは格式がありました。政治からしい人格、信念、風格でしょう。

岩見 :信念ということで言うと、この夏は靖国参拝騒動がありました。靖国問題に関しては、どういうご見解でしょう。

池田氏:一国の総理が、一宗教法人に参拝することは間違いです。靖国参拝そのものは、憲法違反の疑いが強いことも事実です。戦没者を悼む気持ちは分かりますが、一国の宰相たるもの、心情論だけに流されることは危険です。

岩見 :公明党は最近、宗教政党らしい純潔性とか寛容さが感じられなくなって、自民党や民主党と同じ普通の政党という印象ですね。惜しいなあと感じているんですが。

池田氏:全く同感です。私もそう思っています。そうなると何の魅力もなくなる。

岩見 :最近は衆院の選挙制度自体を変えたらどうだと公明党も提唱しているようです。

池田氏:中選挙区制が日本に一番当てはまるんじゃないか。公明党に有利とか不利とかいう問題じゃなくて、多様化した日本社会にあって、その方が幅広く皆が選択できると思うからです。

岩見 :今、自民党と連立を組んでいますが、自民党は相当くたびれてきたなあと私は思っていますけれども、どうですか。

池田氏:いつかはもう一度、本格的な政界再編のときが来るのではないでしょうか。

岩見 :そういう意味でも公明党が日本の政界に刺激を与える役割はあるんじゃないかと。

池田氏:そうでなければ公明党の存在価値がなくなります。自民党の補完勢力みたいになってしまうから。

岩見 :今の自民党だとそう展望はありません。

池田氏:再編があっても長続きするかどうか……。だけど自民党単独内閣は、当分できそうもありませんね。連立は時代の流れと思います。

北村 :創価学会は今後、政治とのかかわりをさらに深めるのでしょうか。

池田氏:宗教は人々の幸せと世の中の平和と繁栄を願うものです。政治が腐敗、堕落し、危機的状況にある限り、異議申し立てをするのは、宗教者として当然の責務です。政治への監視を庶民の目線で行うことは、非常に大切なことと思います。

〔憲法〕~9条を変えてはいけない~

岩見 :首相公選制について、名誉会長はいいんじゃないかというお考えとうかがっていますけど。

池田氏:否定はしません。新しい日本の何かを生み出してもらいたいという意味で。何だか全然、政治が面白くないから。

岩見 :仮に首相公選制を導入するとなると、憲法改正を必要としますね。

池田氏:そうなんです。私は絶対に第9条だけは変えてはいけないと思います。その他は、やむを得ない場合があるかもしれないが。

岩見 :憲法を見直すこと自体はいいと。

池田氏:その通りです。議論は結構だ。9条は変えてはいけない。

〔創価学会〕~独裁などあり得ない~

北村 :創価学会は70年を超えました。今、創価学会はどういう段階にあるのでしょうか。長年、指導者の立場にある点をどうお考えですか。

池田氏:ほぼ日本の1割に(会員数が)なりました。基盤が出来上がったと見ています。当然指導者がいなければ、組織は正しい方向に動きません。とともに、皆に責任を持たせ、青年を育てていかなければ、どんな団体であっても安定と発展、持続はできなくなるものです。独裁などあり得ないし、時代遅れです。学会の運営は、役員会議・中央会議などを中心に、民主的にみんなの意見を最大に尊重して行っています。会議も私があまり出ると皆が遠慮してはいけないと思い、原則として出ないように心がけています。

岩見 :何か新しい独裁みたいな感じもしますが。(笑)

池田氏:どう見られても、私は構いません。全部、自由ですから。ただ、私も名誉会長として、会則通りに働いています。独裁であれば人は育ちません。世界にも開けません。独裁は臆病です。必ず滅びます。

北村 :名誉会長、最近までずっとマスコミに登場しなかったのですが、最近、朝日新聞への寄稿から始まり、登場が続いています。何か思うところがあってですか。

池田氏:創価学会というと、すぐに公明党と見られがちです。その公明は自民と一緒になってます。一般の方々は学会も同じように、つながってしまっていると思われかねません。そのように思われることは学会にとっては非常に迷惑なことです。心ある会員にしかられます。また離れていきます。そこで、創価学会の主体性を明確にしておかないと、内部的にも納得を得られないと思って発言を多くするようにしました。私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間と人間との心の連帯です。もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰まる。あくまでも人間です。人間のための、人間による宗教活動を、私たちは進めていきます。

【2】
池田大作 アーノルド・トインビー 『21世紀への対話』
第2章 軍備と戦争
4・”平和憲法”と自衛
(引用)

池田: 自衛権は、対外的には、いうまでもなく、他国の急迫不正の侵略に対して、国家の自存を守る権利です。それは、対外的には、そして根本的には、国民の生きる権利を守るという考え方に根ざしています。すなわち、個人の生命自体を守るという、自然法的な絶対権の社会的なあらわれが国の自衛権というものであると思います。であるならば、その自衛権をもって他国の民族の生命を侵すことができないのは、自明の理です。ここに自衛権の行使ということの本質があります。

問題は、あらゆる国が他国からの侵略を前提として自衛権を主張し、武力を強化しており、その結果として、現実の国際社会に人類の生存を脅かす戦争の危険が充満していることです。

しかし、この国際社会に存在する戦力に対応して”自衛”できるだけの戦力をもとうとすれば、それはますます強大なものにならざるをえません。それゆえ、武力による自衛の方向は、すでに行き詰ってきているといえましょう。

私は、この問題は、国家対国家の関係における自衛の権利と、その行為の手段としての戦力というとらえ方では、もはや解決できない段階に入っていると考えます。もう一度出発点に立ち返って大きい視野に立つならば、一国家の民衆の生存権にとどまらず、全世界の民衆の生存権を問題としなければならない時代に入ったと考えます。

私はこの立場から、戦力の一切を放棄し、安全と生存の保持を、平和を愛する諸国民の公正と信義に託した、日本国憲法の精神に心から誇りをもち、それを守り抜きたいと思うものです。そして、それを実あらしめるための戦いが我々の思想運動であると自覚しております。

トインビー:もし日本がその現行憲法の第九条を破棄するとしたらーーいや、さらによくないことは、破棄せずにこれに違反するとしたらーーそれは日本にとって破局的ともいうべき失敗になるでしょう。

国際情勢全般が今後どのような方向をたどろうとも、日本にとっては、中国との良好な関係を確立することが、きわめて重要になるものと思います。中国側にとってみれば、憲法第九条をめぐる日本の政策いかんが、中国に対する日本の意向をはかる尺度となるでしょう。日本の再軍備は、たとえそれが真に自衛を目的とし、侵略を意図するものではないにしても、中国の疑惑と敵意をかきたてることでしょう。

【3】
池田会長講演集 学会と公明党の関係

(第3巻より抜粋・引用)

 私としては、公明党結成のことを発表した昭和三十九年の本部総会の講演でも、創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である、とはっきり政教分離の出発を目指しておきました。

私自身、公明党の会合には一度も出ておりません。三十九年の結党大会にも出ていません。

また四十年七月に「宗教政党」という理念を述べましたが、ここでも「理念においては一体であるが、体制・機能においては別である」むねを前提として、そう申し上げたのであります。

これは、学会と公明党は「一体不二」であるという言葉を使ったので、一部に誤解した受け取り方をされておりますが、よく読んでいただければわかるように、民衆の幸福と平和を願う理念・理想が同じであるという意味であって、体制・機能の面までも「一体不二」ということは決していっておりません。

また、その後「公明党のビジョン」を発表した時も「学会員一人一人の政党支持は自由である」と明言しておきました。むしろ創価学会は宗教団体として、信仰・布教に専念し、公明党は公党として、立派に社会に貢献し、大衆福祉のために戦ってほしいということが、私の一貫した願いであったのであります。

党はひとり立ちし健全な発展を

 もとより公明党誕生の母体は創価学会であることは間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでも、それに依存するようであっては、党の健全な発展はない。たとえていえば、賢明な母は、子がひとり立ちできることを願うものであります。

 いつまでも自己の支配化におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。

 子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、一人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。

 今までは、創価学会と公明党は、この母と子の関係にあると見られてもやむをえなかった。それにしても、我々は、愚かな母親であってはならない。この愚かさは、結局、重荷となって自らにおおいかぶさってくるでありましょうし、子供も社会に貢献できない大きい赤ん坊として社会の笑い者になってしまうでありましょう。

 我々は、これまで、公明党のために一生懸命応援し、守り育ててまいりました。だが第三党にもなれば、すでに立派なおとなであります。それでもなおかつ、これまでのように面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判をうけるのも当然の理でありましょう。

 そこで、これは提案になりますが、創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度の上で、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん、理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれのも目的に向かって将来に進むことは、当然であります。これは、党幹部からの強い要望もあり、学会でも当然のこととして、理事会でも決定したことでありますので、皆さん方のご賛成を頂きたいのであります。(賛成挙手)

 今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。

(1970.5.3 東京日大講堂 第33回本部総会)

【4】
ヨハン・ガルトゥング博士からのメッセージ
安保関連法案に反対する創価大学・創価女子短期大学関係者有志の会への公開書簡

 皆さんの行動と基本的立場を全面的に支持します。あの法案は違憲であり、9条の第一項第二項に違反しているだけでなく、両項がその根拠としている基盤全体を破壊するものであり、日本を70年前に戻してしまうものです。私は、平和の党だったはずの公明党に深く失望しています。公明党が支持している法案は、「集団的自衛」という誤った方向性のもとに、現在の世界で最も好戦的な国家と同盟するためのものです。これは日本を危険な軍拡競争へ引きずり込み、いとも簡単に戦争へ向かわせるものであり、世界で最も好戦的な国家と共同歩調をとることで、日本を自ら選択していない戦争に巻き込むものです。

 それよりも、公明党、創価学会、学術者の皆さん、そしてすべての皆さんが、日本全体として、根源的な矛盾の解決にとりかかるべきです。そして現実の積極的平和を北東アジア地域に作り上げるべきであり、それは北東アジア共同体となるでしょう。

 私の古くからの友人である池田大作氏に呼びかけます。池田氏と私は平和についての対談集を出版し、多くの言語に訳され、創価学会と公明党の指針にもなってきました。その公明党は現在では好戦的な自民党と連立しています。紛争の解決や和解にはなんの役にも立たない破壊的戦争とは明確に一線を画し、九条を北東アジアの「平和の傘」とされんことを。

ヨハン・ガルトゥング

平和・開発・環境のためのネットワーク

トランセンド・インターナショナル創立者

【5】
池田大作 宮本顕治 『人生対談』
毎日新聞社(抜粋、引用)

 私の場合は入会以来、あんまりすんなりということはなかったのです。約半年間悩みました。どうしようもない困惑があったのです。それは、戸田城聖の風貌は私の心に不世出な師として焼き付きましたが、一面、この人についていくことは、大変なことだと予感したからなのです。将来は大変な苦労となるだろう。やりとおせるか、とおせないか、逃げ去るならいまのうちだ、後になってはもう遅い(笑い)と悶々と悩んだ一時期がありました。

 いまから思えば、その時が生涯をかけた決断の時だったのしょうね。しかし、私の生命に日一日と、急速にはぐくまれていくものがありました。宮本さんは、「理性の声」といわれました。それに共通するかと思いますが、やはり「内なる声」に、私はついにルビコンを渡ったのです。

 それから、入会した当初、悩んでいたもう一つの理由は、学会の雰囲気が何となくそれまでの自分の膚あいになじまなかったこともあった。そのころの私は、あまりうまくはなかったのですが、詩を書いたり、文を書いたりしていて、文学青年の端くれみたいな気質を持っていたんです。ですから、戸田前会長にひかれて学会に入ったものの、従来の夢と少しかけ離れているようで、初めはあまり学会が好きではなかった。

 ところが、戸田前会長は鋭い人でした。私の何となくそうした姿を一目見て「君は学会が嫌いか」と聞くんです。仕方がないので、私も「実は嫌いです」とはっきり答えた。すると前会長は「そうか。では君の好きになれる学会を、君がつくればいいではないか」というんです。私も、それなら納得できるということで、以来すっきりと、私なりの夢とロマンを学会の中で描いてみようと、今日まで活動してきたわけです。