破邪顕正の闘い/54年問題/7つの大罪
破邪顕正の闘いを、今!
今の公明党は何だ。立党の精神「大衆とともに」は何処に行ってしまったのか。「平和と福祉の党」の看板を下ろしてしまったのか。「小さな声を聴く」のではなかったのか。2003年のイラク戦争で始まった自衛隊の「海外派遣」。2015年の集団的自衛権を容認した「安保法制」。その後、「共謀罪」「カジノ法」などを自民党とともに強行採決し、「ブレーキ役」どころか、すっかり自民党の補完政党となり下がってしまった公明党。沖縄県民の「民意」を踏みにじって、「辺野古新基地建設」は進められ、被爆者の悲願である「核兵器禁止条約の署名・批准」に背を向ける。新型コロナウイルスの感染が拡大する中、GoToキャンペーンやオリンピック開催で、国民の命よりも経済が優先され、自粛ばかりが求められる私たちには、一人10万円の給付と布マスク2枚が配られるだけだった。コロナ禍の銀座を飲み歩いていた公明党国会議員は、辞職するも尚、汚い金の亡者として断罪されようとしている。国民が困窮し、喘ぐ姿をしり目に、「憲法改正」をもくろむ政府・自民党と壊れた「ブレーキ」の公明党。以前は「平和と福祉の党」との評価も得られていたのに。――こんな公明党に、誰がしたのか。
公明党の支持基盤は「創価学会」である。創価学会は、組織の「票」を支配することで、公明党の生殺与奪を握っている。だから公明党は、創価学会の意向に逆らえない。創価学会が上、公明党が下だ。
つまり、こんな公明党にしたのは、――創価学会である。
では、創価学会の「誰が」したのか。指導者である池田大作名誉会長か。答えは「NO」である。
池田先生は、1979年(昭和54年)4月24日、第3代会長を辞任させられて、その後、名誉会長職をあてがわれた。いわゆる「54年問題」である。学会執行部は、池田先生から組織運営に対する権限を奪い、今日に至っている。しかし、力もなく臆病な執行部は、池田先生の威光を借りて、都合よく先生を利用して、学会員を束ねて、コントロールしているのが実態だ。池田先生を追い落とした「54年問題」に端を発する最高幹部の連中が、今も、創価学会を「乗っ取っている」。話を戻す。つまり、
こんな公明党にしたのは、――創価学会を「乗っ取っている」原田稔会長と現執行部である。
池田先生が現場で指揮を執り、学会員を前に指導をされていた時は、執行部は「その時」を伺っていたのか、先生に従う「ふり」をして、おとなしくじっとしていた。しかし、2010年5月以降、池田先生が公に姿を現さなくなってからというもの、執行部は自分たちの都合のいいように2014年「教義改変」「会則変更」、2017年「会憲制定」を繰り出し、信濃町に全権力を集中させて、ピラミッド型の集権体制をつくり始めた。一方で執行部は、組織運営や公明党に意見をする学会員を査問し、処分や排除を加速させた。そこには、創価三代会長が築いてきた、それまでの「人間主義」も何もない、冷たい「組織主義」「体制主義」だけになってしまった。更に、原田執行部は、自分たちの栄達と保身のために権力側(国家権力・自民党)と結託してしまった。本来の日蓮仏法と創価学会の精神を堅持するならば、経文の通り、権力側からの弾圧は必至である。だからこそ、私たちは、権力側とは常に対峙し、弾圧に屈せず、甘言に取り込まれず、「法華経の行者」として広宣流布を進めていくことが肝要であることを学んできたのに。臆病な原田執行部は、栄達に溺れ、「権力の魔性」に自身を食い破られ、保身に走り、日蓮仏法と創価三代の魂を捨て去ってしまった。国家権力・自民党と手を結び、共存共栄を図ることで、自分たちの身が守られるとでも思ったのだろうか。執行部は、支配する公明党を使って、自民党との繋がりを深めていった。ここで、公明党が「安保法制反対」や「辺野古新基地建設の反対」や「核兵器禁止条約の署名・批准」を主張して、「自民党との関係にヒビを入れられては困る」というわけだろう。公明党が自民党に強くものが言えないのは、原田執行部の意向が働いているということだ。
繰り返し言う。――原田執行部が、「こんな公明党」にしているのだ。
そして、原田執行部は、「こんな公明党」を学会員に選挙支援させる。表向きは「会員の選挙支援は自由だ」といいながら、組織の末端・現場では、「F活動(集票活動)には功徳がある」「先生がつくった公明党を応援できない人は信心が足りない」「公明党に間違いはない」との言説が飛び交い、「選挙で大勝利して、先生にご報告しよう」と、先生を都合よく利用する。そして、学会員を「無償の集票マシン」として利用する。公明党の施策や姿勢に疑問を持つ会員に対して、幹部らは「我々にはわからない、何か深い意味があるのだ」とうそぶき、「公明党を信じることが信心だ」と言い放つ。選挙になれば、「座談会」や「御書学習会」や未来部等の人材育成もそっちのけだ。そこまで「公明党大勝利」に血道を上げるのは、自民党との関係を損ないたくないからだろう。もしも、公明党が連立を離れ、政権側にいられなくなったら、困るのは、原田執行部だ。権力側と同座することで、それまで覆い隠していた「膿」が、表出してしまうことを恐れているに違いない。だからこそ、公明党を勝たせることで「付加価値」をつくり、権力側にへつらい、学会員を支配して隷属させているのだ。もはや原田執行部には「正義」も「師弟」もなく、本来の創価学会とは全く別物の邪教団、「原田学会」である。
本来、「生命尊厳」「平和主義」「人間主義」を掲げて実践すべき教団が、その使命を忘れ、師に違背し、真逆の行いをしているために、公明党を始め、学会組織の末端、はては、国際社会にまで悪影響が及んでいる。「体曲れば影ななめなり」(御書992)である。現在の世界を見渡せば、761年前に、日蓮大聖人が国主諌暁をされた「立正安国論」の様相と同じではないか。原田会長と執行部の責任と罪は、あまりにも大きく、重い。
創価三代会長、なかんずく池田先生の指導に違背し、「師弟」を破壊し、権力と同座して、意見する会員をいじめる原田執行部は、「仏法破壊」の輩である。創価の城を乗っ取り、内側から破壊する「獅子身中の虫」「内部の敵」である。断じて看過できない。池田先生は、新時代第16回本部幹部会(2008.3.5)の席上で、「たとえ相手がどんな役職や立場であろうと、その行為が間違っていれば、「何をやっているんだ!先生の指導と違うではないか!」とはっきりと言っていくべきである。私たちは「言葉」で戦うのである。明快に言い切っていくことが、現実を変えていく力なのである」と指導された。さらに「もしも将来、増上慢になり、堕落し、腐敗し、師弟の精神を踏みにじるようなリーダーの姿があれば、皆で力を合わせて断じて追放していくのだ。このことを、きょうは再確認しておきたい。青年部、頼むよ!」とも指導された。池田先生は「内部の敵と闘い、叩き出せ」と言われているのである。また、日興遺誡置文に「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事」と言われているように、「創価学会の会長とて例外ではない」のである。今の信濃町に巣くう「内部の敵」を追放しない限り、今のままでは、三代会長が築いてきた私たちの「創価学会」は滅亡してしまうに違いない。
しかし、「原田学会」を批判したことで組織から排除された人たちや、「今の組織は間違っている」と感じる会員たちが、「内部の敵を叩き出す」ことをせずに、もしも、創価学会の外に「受け皿的な教団」を設けようとするのなら、たとえそれが「迷える会員たちを救済するため」だとしても、それは「師弟不二」の道ではない。先に述べた通り、池田先生は弟子が、「内部の敵」を叩き出して、清浄で正常な「創価学会」を永遠たらしめよと言われているからだ。100万歩譲って、仮に、学会の外に「受け皿」をつくったとしても、二つの問題点がある。一つは「創価学会」の「名」は継承できないという点だ。「創価」の名は、1930年11月18日、牧口先生と戸田先生の「師弟」が、牧口先生が著された『創価教育学体系』を発刊するにあたって命名されたものであり、「師弟不二」の魂が込められた「名」である。信濃町が「創価学会」と名乗る限り、受け皿の教団は「創価」の名を使うことはできないだろう。もう一つの問題は、ご本尊を他所から用立てなければならないという点だ。現在、創価学会は「日寛上人書写のご本尊」を授受に用いている。この「日寛本尊」の意義について確認しておきたい。1991年11月に、宗門(日蓮正宗)が創価学会を破門したために、創価学会は新入会者に下付する本尊を失ってしまった。宗門による「僧が上、信徒が下」という「衣の権威」から、「魂の独立」を勝ち取ったにも関わらず、本尊流布ができない学会員の悲しみは広がっていた。そこに、1993年9月、栃木県・浄円寺の申し出により、同寺所蔵の「日寛本尊」を創価学会において授与できるようになったという経緯がある。当時、弘教を進めるにも、流布するご本尊を失って、悲観に暮れ、希望を見失いそうになった弟子たちに対して、「もう大丈夫だよ!これでまた、広宣流布をめざせるよ!ともに前進しよう!」と、師匠・池田先生が道を開いてくださったのである。この「日寛本尊」は、師から弟子に対しての「慈悲」であり、「希望」であり、「未来」であり、弟子から師への「誓い」であり、ともに進みゆく「師弟共戦」の意義がある。つまり、「師弟不二」の魂が込められたご本尊であるといえる。どの本尊が良いとか悪いとか言っているのではない。しかし、外に「受け皿」などを設けて、他所のご本尊を用いている場合ではない。「師弟」を見失ってはいけない。師の指導通り、内部の敵を叩き出して、本来あるべき「創価学会」を取り戻し、正常で清浄な創価学会を永遠たらしめるより他に、「師弟不二」の道はないと思う。先生の「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」との思いに応え、誓いを果そうとするのが、弟子の道ではないか。
師敵対の原田執行部を叩き出す「破邪顕正」の闘いにおいて、「拙速であっては、事を仕損じる」のは確かであろう。しかし、今の社会の混迷と人々の苦悩を前にして、時は「待ったなし」ではないか。「行動するにはまだ時期尚早だ」「放っておいてもいずれ原田学会は滅亡する」「先生が亡くなってから行動する」等の考え方に、私は賛同できない。私は、池田先生のご存命中に「破邪顕正」をなすべきだと思う。先生は晩年の指導で、54年問題から「内部の敵」に触れ、師弟に違背するものは叩き出せと言われている。そして、「私は、長生きをして、本当に青年部を育て切って、完璧な学会を築きたい。それを見届けたい。そう決意している。頼むよ!」(2008.3.5 新時代第16回本部幹部会にて)と指導された。また、「創価の魂を継ぐ、“本物の弟子”が出てくるまで、私は断じて生き抜かねばならない――今、そのように思っている」(2007.2.27 婦人部代表協議会にて)とも仰せである。今年、93歳の先生は、今なお、本物の弟子が立ち上がるのを待っておられるのではないか。だからこそ「待ったなし」なのだ。これまで先生にお応え出来ず、不甲斐ない弟子であることを申し訳なく思う。いま闘わずして、いつ闘うのか。
そして、この秋には「衆院選」が必ずある。狂った公明党を、組織から言われるがままに選挙支援してしまう「誑かされた」学会員の目を覚まさせ、もうこれ以上、「師弟のない」選挙支援に学会員を加担させてはならない。この「破邪顕正」の闘いによって、会員の組織信仰の無明を打ち破り、公明党の権勢にストップをかけ、党を牛耳って権力に奢れる原田執行部に打撃を与えて叩き出し、私たちの創価学会を取り戻そうではないか。
ときは、「いま」である。
(2021.8.30)
宿坊の掲示板に投稿
1979年(昭和54年)4月24日。池田先生は、第3代会長を「辞任」しました。
しかし、その真実は、のちに先生ご自身の随筆やスピーチによって明らかになります。
「54年問題」は、現在の「創価学会」の底に潜む「悪」として捉えなければなりません。
【1】
嵐の「4.24」 断じて忘るな!学会精神を
随筆 新・人間革命 79より
1999年4月27日掲載
先日、ある著名な学者から、伝言をいただいた。
それは、私を励ましてくれる好意的な内容であった。
「これだけ壮大なる創価学会になったからには、苦労も苦難も多いでしょう。
日本を動かす原動力の一つになったことは、まことに偉大なことであります。
若い時に、身体が弱かった貴方だから、健康のことを心配しておりましたが、この何十年もの間に、いよいよ大偉業を完遂してゆく姿に、心から感嘆し、頭が下がる思いです」
また、ある高名な方からも、励ましのお手紙をいただいた。
「これほどまでに、平和勢力を築き上げた大事業に、喝采を送ります。
戦前戦後を通じて、これほどの業績は、誰も成し遂げることができませんでした。政治家でもない、著名人でもない、一民間人が、戸田会長という偉大な師匠があったことは事実としても、これほどの大業は、とうていできないものです。
しかも、悪意の中傷を数多く受け、さらにまた、反対勢力の策略と陰謀を撥ね返してこられた。日本狭しと見下ろしながら、全世界を志向してのご活躍、そして、巨視眼と先手を打ちながらの平和活動は、それはそれは、歴史に残ることは絶対に間違いないでしょう」
また、長年、おつきあいした文化人からは、「奇跡という他ない。誰からも誉められず、嫉妬され、けなされながらも、現実に未だかつてない偉業を創り上げた大芸術は、ナポレオンもユゴーも、きっと賛嘆するであろう」と。
1979年(昭和54年)の4月24日―。
この日、私は、19年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉会長となった。
全国の、いや、全世界の同志は、その発表に、愕然として声をのんだ。
その背後には、悪辣なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、ありとあらゆる学会攻撃があった。
なかんずく、私を破壊させようとした、言語に絶する謀略と弾圧であった。
正義から転落した、その敗北者たちは、今でも、その逆恨みをはらさんと、卑劣な策略を続けている。これは、ご存じの通りである。
御聖訓には、随所に説かれている。
「法華経の行者は諸々の無智の人のために必ず悪口罵詈等の迫害を受ける」と(趣旨、御書140㌻等)。
広宣流布の闘争のゆえに、悪口罵詈されるのが、真の法華経の行者といえるのである。
さらに「佐渡御書」には、「賢人・聖人は罵詈して試みるものである」(通解、同958㌻)と。
真実の信仰者は、罵詈され、讒言され、嘲笑されて、初めてわかる。
畜生のごとき坊主らの暴圧による、わが友たちの苦悩を、悲鳴を、激怒の声を聞くたびに、私の心は血の涙に濡れた。
心痛に、夜も眠れなかった。
私は、けなげな創価の同志を守るため、一心不乱に、僧俗の和合の道を探り続けた。
しかし、後に退転した、ある最高幹部の不用意な発言から、その努力が、いっさい水泡に帰しかねない状況になってしまったのである。
それは、最初から、学会破壊を狙っていた仮面の陰謀家どもの好餌となった。
坊主らは、狂ったように「責任をとれ」と騒ぎ立てた。
私は苦悩した。
――これ以上、学会員が苦しみ、坊主に苛(いじ)められることだけは、防がねばならない。
戸田先生が「命よりも大事な組織」といわれた学会である。
民衆の幸福のため、広宣流布のため、世界の平和のための、仏意仏勅の組織である。
私の心中では、一身に泥をかぶり、会長を辞める気持ちで固まっていった。
また、いずれ後進に道を譲ることは、何年も前から考えてきたことであった。
ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。
「私が辞めれば、事態は収まるんだな」
沈痛な空気が流れた。
やがて、誰かが口を開いた。
「時の流れは逆らえません」
沈黙が凍りついた。
わが胸に、痛みが走った。
――たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい。
実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない。
また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこともわかっている。
しかし、時流とはなんだ!
問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。
そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。
宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって、戦いを挑んできた。それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。
それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのである。
情けなく、また、私はあきれ果てた。
戸田会長は、遺言された。
「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と。
この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。なんと哀れな敗北者の姿よ。
ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか!
そんな渦中の、4月12日、私は、中国の周恩来総理の夫人である鄧穎超(とうえいちょう)女史と、迎賓館でお会いした。
その別れ際に、私は、会長を辞める意向をお伝えした。
「いけません!」
“人民の母”は笑みを消し、真剣な顔で言われた。
「まだまだ若すぎます。何より、あなたには人民の支持があります。人民の支持のあるかぎり、やめてはいけません。一歩も引いてはいけません!」
生死の境を越え、断崖絶壁を歩み抜いてこられた方の、毅然たる言葉であった。
やがて、暗き4月24日を迎えた。火曜日であった。
全国の代表幹部が、元気に、新宿文化会館に集って来た。
しかし、新たな“七つの鐘”を打ち鳴らす再出発となるべき、意義ある会合は、私の「会長勇退」と、新会長の誕生の発表の場となってしまったのである。
大半の幹部にとって、まったく寝耳に水の衝撃であった。
私は途中から会場に入った。
「先生、辞めないでください!」「先生、また会長になってください!」
「多くの同志が、先生をお待ちしております!」などの声があがった。
皆、不安な顔であった。
「あんなに暗く、希望のない会合はなかった」と、後に、当時の参加者は、皆、怒り狂っていた。
私は、厳然として言った。
「私は何も変わらない。恐れるな!
私は戸田先生の直弟子である! 正義は必ず勝つ!」と。
あまりにも 悔しき この日を 忘れまじ
夕闇せまりて 一人 歩むを
これは、4月24日に記された日記帳の一首である。
わが家に帰り、妻に、会長を辞めたことを伝えると、妻は、何も聞かずに「ああ、そうですか……。ご苦労様でした」と、いつもと変わらず、微笑みながら、迎えてくれた。
(「池田大作全集」第129巻所収)
【2】
昭和54年5月3日 師子となりて 我は一人征く
随筆 新・人間革命 80より
1999年5月1日掲載
その日は、雲一つない″五月晴れ″であった。
武蔵野の丘は、生命と青春を飾りゆくように、ツツジの花に包まれていた。
その花々の彼方は、大きな真実の沈黙を漂わせた、新緑に輝いていた。
妻が、まぶしそうに言った。
「まるで、十九年前と同じ天気ですね……」
――確かに一九六〇年(昭和三十五年)、私が第三代会長に就任した日も、快晴であった。
その日の夜、大田区の小さな貧しい家で、二人して夜空を仰ぎ、「あの星は、ホタルが輝いているように見える」と語り合ったことを思い出す。
この十九年間、絶望の闇を切り開き、無限の平和の大帝国を建設するために、わが死闘は続いた。
1979年、すなわち昭和54年の5月3日――。
間もなく、創価大学の体育館で、“七つの鐘”の総仕上げを記念する、第40回の本部総会が行われることになっていた。
本来ならば、その日は、私は、偉大なる広宣流布のメッセージを携えて、創価の栄光を祝賀する日であった。
すべての同志が熱意に燃えて、楽しき次の目標をもち、至高の光を胸に抱きながら迎えゆく、歓喜の日であった。
尊い広布の英雄たちが微笑をたたえ、共々に、珠玉の杯を交わしながら祝うべき日であり、大勝利の鐘を自由に打ち鳴らす日であった。
しかし、嫉妬に狂った宗門をはじめ、邪悪な退転者等の闇の阿修羅が、この祝賀の集いを奪い去っていったのである。
午後2時から始まる総会の開会前であった。
妬みと滅びゆく瞋恚の魂をもった坊主を乗せたバスが、大学に到着すると、私は、ドアの前に立ち、礼儀を尽くして、彼らに挨拶した。
ところが、坊主たちは、挨拶一つ、会釈一つ返すわけでもなく、冷酷な無表情で、傲然と通り過ぎていった。
学会伝統の総会も、いつものように、学会らしい弾けるような喜びも、勢いもなく、宗門の“衣の権威”の監視下、管理下に置かれたような、異様な雰囲気であった。
ある幹部が後で言っていた。
「冷たい墓石の上に座らされたような会合であった」
激怒した声が多々あった。
会場からの私への拍手も、遠慮がちであった。
また、登壇した最高幹部は、ほんの数日前の会合まで、私を普通に「池田先生」と言っていたのが、宗門を恐れてか、ただの一言も口にできない。
私をどうこうではない。
それは、強き三世の絆で結ばれた、会員同志の心への裏切りであった。
婦人部の方が怒っていた。
「どうして、堂々と、『今日の広宣流布の大発展は、池田先生のおかげです』と言えないのでしょうか!」と。
私が退場する時も、戸惑いがちの拍手。
「宗門がうるさいから、今日は、あまり拍手をするな。特に、先生の時は、拍手は絶対にするな」と、ある青年部の最高幹部が言っていたと、私は耳にした。
恐ろしき宗門の魔性に毒されてしまったのである。言うなれば、修羅に怯えた臆病者になってしまったのである。
しかし、私を見つめる同志の目は真剣であった。声に出して叫びたい思いさえ、抑えに抑えた心が、痛いほど感じられた。
体育館を出た直後、渡り廊下を歩いている私のもとに駆け寄って来られた、けなげな婦人部の皆様との出会いは、今も、私の胸に深く、くい込んで離れない。
会合が終わり、特別の控室にいた高僧や坊主どもに、丁重に挨拶をしたが、フンとした態度であった。これが人間かという、そのぶざまな姿は、一生、自分自身の生命に厳存する閻魔法王に、断罪されることは、絶対に間違いないだろう。
仏法は、厳しき「因果の理法」であるからだ。
私は思った。
宗門と結託した、学会攪乱の悪辣なペテン師たちは、これで大成功したと思い上がったにちがいない。彼らは、「これで、計画は着々と準備通りに進んでいる。これでよし! これで完全勝利だ」と計算し、胸を張っていた。
その陰湿さと傲慢さが、私には、よく見えていた。
私は、ずる賢き仮装の連中の実像を、その行動から見破ることができた。
この陰険極まる、狡猾な連中には、断固として、従ってはならない。いかなる弾圧を受けようが、「忍耐即信心」である。
学会は、蓮祖の仰せ通りの信仰をしている。死身弘法の実践である。柔和な忍辱の衣を着るべきである。
学会に敵対する彼らは、蓮祖の姿を借りて、真実の仏の使いを道具にし、利用し、破壊しているのである。
これが、恐ろしき魔性の荒れ狂った、現実の実態であった。
あまりにも悲しく、あまりにも情けなかった。
本来、宗教は、人間の幸福のためにあるものだ。
それが、坊主の奴隷になり、権威の象徴の寺院・仏閣の下僕になってしまうことは、根本的に間違いである。
私は、重荷を、また一層、背負った気持ちで、皆と別れ、自宅には帰らず、神奈川文化会館に走った。
「今朝の新聞に、先生のお名前が出ていました」
神奈川文化会館で、側近の幹部が教えてくれた。
この3日付の読売新聞には、日米国民の「生活意識」調査の結果が掲載されていた。
その中に、日本人が「尊敬する人物」に挙げた上位20人の第6位に、私の名前が出ているというのであった。
上から、吉田茂、野口英世、二宮尊徳、福沢諭吉、そして、昭和天皇と続き、その次が私である。
「会長勇退」直後の5月3日に、このような記事が出たことに、私は不思議なものを感じた。
また、同志の皆様が、懸命に私を応援してくださっているようにも思われた。
数日後、ある識者の方からいただいたお手紙は、この調査のことを非常に驚かれ、こう結んであった。
「現存する人物では、民間人の第1位です。
そして、日本の宗教界では、貴方、お一人だけです。まさに宗教界の王者です。どんなに、戸田会長がお喜びになるでしょうか!」
「大事には小瑞なし、大悪を(起)これば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし」(御書1300㌻)とは、日蓮大聖人の絶対の御確信であられる。
誰が何と言おうが、私は私の信念で勝つことを決心した。
そして、ただ一人、今まで以上の多次元の構想をもちながら、戦闘を開始した。
「獅子は伴侶を求めず」とは、よく戸田先生が、私に言われた言葉である。
一人、孤独になった私は、無言のうちに、必ずや、真実の伴侶はついてくるであろうと信じていた。
師弟の両者が一つの姿で、無限に戦い、舞い、走り、勝利しゆく。私は、その新しき時代の、新しき伴侶を待っていた。
神奈川の地は、世界に通じる港である。
ここから、私は「一閻浮提広宣流布」との大聖人の御遺言を遂行する、決意を新たにした。そして、「正義」という二字を書き記した。
この意義を深く留めて後世に伝えてほしいと、側にいた数人の弟子に託した。
5月5日のことである。
いったん帰京した私は、東京の開拓の新天地、第二東京の拠点の立川文化会館に向かった。
すでに、夕方近かった。別な世界を見る思いで、まさに沈みゆかんとする夕日の光景を、しばし呼吸した。
夕暮れの立川に着くと、その清楚な頬に頬ずりしたいような、憧れの月天子が、顔を見せてくれた。
私は一詩を詠んだ。
西に 満々たる夕日
東に 満月 煌々(こうこう)たり
天空は 薄暮 爽やか
この一瞬の静寂
元初の生命の一幅の絵画
我が境涯も又
自在 無礙(むげ)に相似たり
この日、五月十一日の日記に記したものである。
世界の創価学会は、太陽と同じく、太陽の生命で、永遠に転教を休むことなく、進みゆくことであろう!
また、断固、勝っていくことであろう!
(「池田大作全集」第130巻所収)
【3】
2004.10.28 各部代表者会議での先生のスピーチ
(抜粋)
愛する同志のために戦う!
私が、かつてしるした「正義」の揮毫について述べたい。
(=その場で墨痕鮮やかな「正義」の書が紹介された)
「正義」――この文字は、あの嵐の昭和54年(1979年)、第3代会長を勇退した直後の5月5日、神奈川文化会館でしたためたものである。
その2日前の5月3日、創価大学の体育館で本部総会が行われた。それが実質的な❝会長辞任の総会❞となったのである。
その陰には、嫉妬の宗門と結託した醜い反逆者たちのさまざまな陰謀があった。
しかし、どんな立場になろうとも、私は変わらない。正義は、どとまでいっても正義である。
世界の広宣流布を成し遂げていくのだ! 愛する同志のために戦いぬくのだ!
こう深く心に期した私は、総会の終了後、学会本部には戻らず、神奈川文化会館へ向かった。横浜の港から、洋々たる海を見ながら、世界広布の新たな指揮を執り始めたのである。
その神奈川文化会館で5月5日に書きしるしたのが、この「正義」の2文字であった。
脇書には、「われ一人正義の旗持つ也」とつづったのである。
反逆した人間の末路は無残
恩師の戸田先生は「第3代会長を守れ! そうすれば、創価学会は盤石であり、広宣流布は必ずできる!」と遺言された。この厳命に背いた人間たちもいた。
そして、勇退から25年を経た今、反逆の輩は無残な末路を迎え、宗門は衰退の一途をたどっていることは、皆さんがご承知のとおりである。
私は勝った。正義の学会は、厳然と勝ったのである。(拍手)
全国の同志の皆さま方も、今日まで本当にまじめに、誠実に頑張ってくださった。
とくに私は、あまり日のあたらない、目立たないところで、広布のために、粘り強く努力してくださっている方々を心から誉め讃えたい。最大に賞讃の光をあてて差し上げたいのである。
こうした、懸命に陰で戦ってくださる方々のおかげで、学会は❝日本一の教団❞になったのである。❝世界的な学会❞になったのである。本当にありがとう!(拍手)
広宣流布を現実に前進させているのは、会員である。無冠の同志である。役職が高いから偉いわけではない。役職は言うなれば❝仮の姿❞にすぎない。大事なのは❝さあ戦おう!❞という本因の一念があるかどうかだ。この深き決意に立った同志たちが、なかんずく青年たちが、新しい勝利の歴史をつくったのである。それを絶対に忘れてはならない。
ともあれ、皆さんも地元に帰ったら、地域の同志の方々に、「いつも、ありがとうございます!」「いつまでもお元気で!」「ご健康を祈っています!」等と大いなる讃嘆と励ましを贈っていただきたい。
すべては後継者で決まる
きょうは大事な会合でもあり、日興上人の「原殿御返事」を拝しておきたい。
「原殿御返事」は、日興上人が、身延離山の前年に、原殿に与えられた書状である。これには、日興上人が身延離山を決意された事情と心境がくわしくしるされている。
御手紙を受け取った原殿は、邪師にたぶらかされた波木井実長の一族でありながら、正しい信心を持った人物とされる。明確ではないが、実長の子息のだれかをさしていると推測される。
日興上人は、この後継の信徒に、大切な手紙を送ったのである。
すべては、後継者で決まる。青年が育っかどうかにかかっている。
ゆえに、青年を下に見て、自分は組織の上にあぐらをかき、大変なことは全部、青年にやらせる。そんな幹部がいれば、とんでもないことだ。いちばん大切なのは、青年なのである。
日蓮大聖人に、お仕えした日興上人もまた青年であった。
日興上人は、数え13歳の時に、大聖人の弟子となり、伊豆流罪、佐渡流罪にお供し、大聖人が御入滅になられるまで常随給仕されたのである。日興上人は、原殿に、こう語られる。
「大聖人のお弟子(五老僧等)は、ことごとく師敵対してしまった。日興一人、本師(大聖人)の正義を守って、(広宣流布の)本懐を遂げるべき人であると自覚している。ゆえに、大聖人の御本意を忘れることはない」(編年体御書1733㌻、通解)
大聖人は、御自身の一切を日興上人に付嘱された。そして日興上人、ただお一人が、大聖人の「正義」を守りぬかれたのである。
反対に、五老僧は、師匠である大聖人に背いていった。権力の迫害を恐れた臆病のゆえであり、日興上人への嫉妬のゆえであった。自身の生命に巣くう名誉欲や慢心のゆえであった。
五老僧――言うなれば大聖人門下の最高幹部である。この最高幹部が大聖人の御精神にことごとく違背し、「師敵対」したのである。
先ほども申し上げたが、学会を裏切り、師敵対し、同志を裏切っていった人間たちも、やはり最高幹部であった。これが重大なる歴史の教訓である。
日興上人は青年を育てた。御自身の持てるものすべてを、青年にそそいでいかれた。
青年を大事にする指導者こそ本物である。広布のリーダーは「後輩を一人も脱落させてはいけない」「全員を広布の人材に育てよう」と祈りに祈り、後輩のために走りぬいていくことだ。そこに、万年に続く「令法久住」の方程式がある。
青年こそ宝! いちばん大切なのは青年!
ともあれ、次の五十年へ、青年にすべてを託す以外にない。
そのためには、諸君全員が、創価学会の「会長」であり、「責任者」であり、「大指導者」であるとの自覚で、全責任を担い立っていただきたい。
師敵対、仏法破壊の天魔・原田執行部を断罪する
それまで長年にわたり、全国の会員を前にスピーチや指導をされていた池田先生は、2010年5月の本部幹部会を最後に、公の場にお姿を現さなくなった。それを機に、原田稔会長を中心とした現執行部らは、自分たちの立場を利用し、本来あるべき「創価学会」を破壊して、自分たちに都合の良い組織「原田学会」に改変させている。天魔は、いよいよ原田会長に「悪鬼入其身」したのだ。天魔に支配された原田会長ら、執行部が犯した師敵対、破和合僧、仏法破壊の大罪は、万死に値する。これ以上、三代会長が築いてこられた創価学会を壊されてはならない。師敵対、仏法破壊の天魔・原田執行部を断罪する。
天魔・原田執行部が犯した「7つの大罪」
① 教義改変の罪
原田執行部によって2014年に行われた教義改変は、弘安二年の大御本尊を否定し、これまで創価三代会長の下で構築され、体系作られてきた学会の教学を破壊するものである。告発の書である「教学部レポート」「遠藤文書」で指摘されている通り、池田先生は、「戒壇の大御本尊とは決別する」とは言われておらず、むしろ、「そこまでする必要があるのか。今は事件を起こしていくというのは小さい考え方だ。もう少し流れの様子を見ていきなさい」とご指南されていた。にもかかわらず、原田執行部は、諫言する教学部責任者らを更迭し、強行された教義改変は、あまりにも拙速かつ無謀であり、師に違背する蛮行であると言わざるを得ない。師に背き、学会の教学を捻じ曲げ、本来、教学によって守るべき学会員を、かえって不安にさせ、困惑させた罪は重大である。
② 会憲制定の罪
原田執行部は、2017年の会憲制定によって、それまで国際機構として、世界各国が平等に重んじられていたSGI(創価学会インタナショナル)を、日本の創価学会総本部の配下にしてしまった。それにより、池田先生を中心にした「同心円の組織」は、原田会長を頂点とした「ピラミッド型の組織」となってしまった。各国SGI代表者たちから上がった疑問と批判の声を封じて、強引に制定された会憲により、原田会長がSGI会長である池田先生を配下に置く体制となってしまった。いま、世界中で起こっている災禍によって、民衆が苦しめられている様相は、日蓮大聖人が著された『立正安国論』の如くである。一凶は、本来の使命を忘れ、創価を破壊した原田執行部である。SGIの理念と精神を破壊した原田執行部の傲慢さと、師に対する忘恩、裏切りの罪は重大である。
③ 公明党利用による罪
公明党を使って自民党や日本会議ら権力者と結託し、民衆の側に立たない原田執行部は、もはや民衆の敵である。創価の「人間主義」「平和主義」に反している、今の公明党の狂いは、公明党を組織票で支配している執行部の狂いである。公明党は影、原田学会が体であり、体が曲がれば影は斜めになるのは道理である。権力と対峙せず、逆に権力の側に身を置くことで、保身を図り、権勢を保とうとする執行部は、日蓮仏法とも創価三代の精神とも相容れない。自らの栄達のために公明党を利用し、選挙で大勝利させるために学会組織を利用し、集票のためには学会員の信仰心をも利用する。権力の魔性に食い破られた「悪鬼入其身」の原田執行部は、他化自在天、第六天の魔王、天魔そのものである。執行部による党利用、組織利用、信心利用の罪は重大である。
④ 仏子を処分した罪
原田執行部は、自分たちの意に添わず、物言う会員を不当に処分している。物言う会員を会館に呼び出して査問し、会合参加禁止や役職解任、除名処分を行っている。更に、ネット上での批判者を狙い撃ちし、損害賠償請求裁判(スラップ訴訟)まで起こしている。原田会長は、2021年7月の本部幹部会において、組織運営や公明党を批判するものは「反逆者」である旨の発言をしたが、仏法者としても、リーダーとしてもあるまじき発言である。そこには会員に寄り添い、同苦し、対話し、善導し、相手の仏性を観るという生命尊厳も人間主義もない。「組織に隷属させるか、さもなくば切って捨てる」の規範しかない、権力の亡者、天魔の姿そのままである。他化自在天、奪命者である原田執行部による査問によって、実際に命を亡くした者さえいる。池田先生に随行する聖教新聞記者であった友岡雅弥氏は、2016年秋から翌年春にかけて、創価学会関西本部と東京・信濃町の学会本部において、計7回、17時間にも及ぶ査問を受けた。理由は、友岡氏の社会的弱者に対する支援活動や氏が書いた記事が、「聖教新聞にふさわしくない。会員に間違った意識を植え付けるから」というものであった。査問では長時間にわたって氏を罵倒し、認めていたはずの取材費を全額返済するよう強要した。友岡氏は辞職することとなり、苛烈な査問によるPTSDで体重減少、嚥下障害、発語困難、呼吸不全の後遺症を負い、2018年には誤嚥性肺炎による意識不明の重体で入院した。退院後わずかに体力を回復したものの、支援を続けていた東北で体調が急変し、2019年4月2日、64歳で亡くなった。仏子をいじめ、切り捨てて処分する冷酷無比な「奪命者」、天魔・原田執行部の罪は重大である。
⑤ 邪義をはびこらせた罪
「組織運営や公明党を批判するものは反逆者だ」とか、「財務に勝る大善はない」、「公明支援は功徳がある」など、創価三代会長の指導を逸脱する「邪義」が教団内にはびこっている。本来の目的を忘れて、数に追われるがために、聖教新聞を多部数購読したり、数を上乗せして噓の報告をしたりなど、ノルマに苦しんで歓喜のない、おかしな組織になっている。党や幹部や組織のおかしさを観て、師の指導のままに「おかしい」と言う会員を、一方的に処分して排除し、当人のいない会合等で「あの人は信心が狂った」「反逆者だ」などとレッテルを貼り、見せしめをして、会員を委縮させて分断する行為は、対話主義でも人間主義でもない。創価の思想は相容れない、組織至上主義であり、冷たい全体主義である。戸田先生の指導である「戸田の命よりも大事な組織」とは、「生命尊厳と人間主義の広宣流布をするための組織」であり、「どこまでも一人の人間を重んじる組織」が大事だということであって、決して「組織が上、人間が下」という「組織至上主義」を指南したものではない。あくまでも「人間のための組織」を志向している。自分たちの都合よく、師の指導を捻じ曲げて用いれば「邪義」となる。長の一念の狂いが、教団組織はおろか社会の隅々にまで悪影響を及ぼしている。原田執行部の罪は重大である。
⑥ 金銭問題を不透明にしている罪
営利を目的としない宗教法人であるなら、原田執行部は、教団の財務諸表をすべて開示すべきである。隠していれば、不正や悪用の温床にもなるだろう。これまでにも、「捨て金庫事件」や「ルノワール絵画事件」など、不透明な金銭問題があった。会館の自販機設置にかかわる業者との癒着問題、墓苑運営にかかわる金銭問題、関西某会館での教団幹部による金銭不正問題等々、不審な金銭に絡む幹部の不正行為は、正しく断罪されているのだろうか。広宣流布をするのであれば、教団と外郭法人にかかわる金銭の流れや資産、収入と支出、すべてをオープンにして、健全な財務体制にすべきである。教団運営のコンサルタント料としてアクセンチュアに一体いくら支払っているのか。会員が広布のために収めた浄財が、何にどれだけ使われているのかを開示するのは、教団としての誠意であり、責任である。これまでの金銭の不正や悪事があるのなら、いったん全部「膿」を出して正常に戻すのが、執行部の務めである。もしも、原田執行部が、不正や悪事を「無かったかのように」隠ぺいし、公開しないのであれば、それは創価三代会長と学会員に対する背任行為であり、その罪は重大である。
⑦ 師匠利用、師弟分断の罪
原田執行部は、さも池田先生が書かれているかのような「作文」をしている。一例を示すものとして、2017年6月14日付け聖教新聞に掲載された「小説・新人間革命(雌伏68)」を引用する。そこでは、【戸田城聖の二十三回忌にあたる一九八〇年(昭和五十五年)四月二日付の「聖教新聞」に、 山本伸一の「恩師の二十三回忌に思う」と題する一文が掲載された】との記述がある。しかし、この「一文」は池田先生が書かれたものではない。実際には、宗門の指示を受けた当時の学会首脳が作成した原稿であり、懇請された先生が了承した「一文」である。これは、1983年の山崎正友裁判にて池田先生ご自身が証言されており、1992年3月の「大白蓮華・特別号②」で掲載された森田一哉理事長(当時)の証言からも明らかだ。他にも執行部は、前述した自らが犯してきた数々の仏法破壊行為を、さも池田先生が了承しているかのようにしている。いつまでも「お元気な池田先生」として、自分たちの都合よく、師を利用し、師に責任を転嫁している。『池田大作全集』には2006年4月以降の先生の指導が未だ発刊されないままであり、先生がご出席された本幹の記録映像が正常に管理保管されているのか、先生のご容態が現在いかがであるのか等、師を慕う会員の声に、執行部は嘘偽りなく応えるべきである。そして、1979年4月24日の池田先生を第3代会長から引きずり下ろしたあの「54年問題」を総括すべきである。いまも師を利用し、師を閉じ込めて、師に違背して、師弟を分断する、原田執行部の破和合僧の罪は重大である。
天魔、内部の敵・原田執行部は退陣せよ!
これまで述べたように、原田稔会長を中心とした現執行部が犯してきた罪はあまりにも深く重い。仏法破壊、破和合僧、師敵対の天魔・原田執行部は、「師子身中の虫」「城者として城を破るが如し」(御書1337)であり、即ち「内部の敵」である。絶対に許してはいけない。天魔に侵された内部の敵を放っておけば、三代会長が築かれた創価学会が破壊され、広宣流布への道が途絶えてしまう。池田先生は数々の指導で「内部の敵を叩き出せ」と言われている。さらに先生は、「創価の魂を継ぐ、“本物の弟子”が出てくるまで、私は断じて生き抜かねばならない」とも仰っている。先生ご存命中の今こそ、師弟不二に生きる本物の弟子が、天魔の謀略を打ち破り、内部の敵を叩き出すのだ。そして、本来あるべき清浄で正常なる創価学会を取り戻し、万代にわたる創価学会を再構築することが、師に応える弟子の道、「破邪顕正」の道なのだ。「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」との師の思いに応えたい。
だからこそ、私は声を上げる。
「原田執行部は創価学会から出ていけ!」
(2021.9.18)
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天魔・原田執行部を叩き出して、創価の改革・再構築を!
師弟破壊、仏法破壊の内部の敵、天魔・原田執行部を叩き出して、本来の創価学会を取り戻し、現場と本部が一体となって、未来万代にわたる「師弟不二」の創価学会にすべく改革・再構築を求める。
以下は、創価の改革・再構築の「試案」の一つである。大いに議論をし、未来の「創価学会」を語るべし。
◎原田執行部が犯した過ち(7つの大罪)を総点検して、誤ったものをただす。
・2014年の「教義改変」「会則変更」を差し戻す。
・2017年の「会憲」を差し戻す。SGIの機能を復活させ、「SGI本部」を沖縄に置く。
◎公明党の選挙支援体制の見直し。党を「独り立ち」させる。
・「支援は自由」を現場に徹底する。支援活動は「党員」のみに限定。Fの報告はとらない。
・F活動に功徳があるなどとの邪義を排す。
・選挙があるからといって、座談会や、未来部をなおざりにしない
◎現場の意見や問題点が速やかに届き、会員が安心して信仰活動できるよう改善を推進する機関を新設
・「組織のための会員」ではなく、本来あるべき「会員のための組織」に。
・ピラミッド型ではなく、師匠を中心とした「同心円型」の組織に。
◎池田先生の未収録指導をおさめた「全集」の発刊
◎池田先生の本幹スピーチの動画記録の管理と保全(すでに廃棄されているのでは?)
◎池田先生のご容態を会員と共有する。隠ぺいや虚偽の情報を発信しない。真実を明らかにする。
◎「おかしな幹部」の善導や、不用意に多い幹部(副会長職など)の整理
・副会長以下、幹部職は全員解任し、一兵卒として現場に入る
・現場の最高役職は「支部長」までとする
・会長は3代まで。「会長」は暫く空席とする。本部の最高責任者は「事務局長(仮称)」でよい
◎本部職員は「奉仕者」の精神で職務に専念する。現場の役職を兼任しない。
◎聖教新聞は、紙媒体としての日刊の印刷をやめて、新聞配達業務をやめる。
・聖教新聞はオンラインで日々配信。
・ほぼ全てのコンテンツを著作権フリーにする。記事の転載や共有、拡散を認める
・紙媒体は、機関紙として、「大白蓮華」的な月刊誌のみ発刊。
・多部数購読の禁止。啓蒙数の報告はとらない。
◎財務は1円から。10万円を上限にする。3けた、4けたで功徳があるとの邪義を排す。
・「財務期間」を廃止し、常時、献金は受け付ける。
◎「ジェンダー」を取り入れる。壮婦男女の「型枠」をなくす。
・地域の責任者は、老若男女性別問わない。
◎会員の人権を蹂躙するような部署(審査会、中央監査会)は解体する
・これまでに、不当な処分をうけた会員の処分を撤回し、謝罪し、名誉回復に努める
◎財務諸表は開示する。金銭の流れ、資産、収支をすべてオープンにする。
・財務、広布基金が何に使われているか、明らかにする
◎これまで、覆い隠されてきた「膿」を全部出しきって、悪人を弾劾して、清浄な組織にする。
・金銭問題、使い込み、業者との癒着、墓苑運営にかかわる不正など
・幹部によるパワハラ問題、セクハラ問題など、不正行為を全部明るみにし、厳しく処分する
◎師敵対、破和合僧、仏法破壊の幹部は、会員が解任できる人事システムをつくる
・自浄作用できる組織体にすることで、未来万代にわたる創価学会にする
・上記は一例。その他、改革・再構築の案を大いに議論すべし
(2021.9.20)